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関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったら

2010/03/07(日) 12:21:54

1 :人間七七四年:2009/06/07(日) 16:37:02 ID:CCzYaWDk
関が原での家康(=東軍)の勝利は単なる幸運。
家康の催促の砲撃に小早川秀秋が激高し東軍に襲い掛かったら、
東軍は総崩れ。
それを見た吉川広家もダンマリを決め込むと戦後立場がないので、家康を攻撃するにちがいなく、
家康は東西から挟み撃ちされ、関が原で戦死するのでは。
運良く戦場から離脱できたとしても、家康の武将生命は終わる。



3 :人間七七四年:2009/06/07(日) 17:14:28 ID:MF3KIxCx
精強福島軍が反転して小早川軍を撃破


4 :人間七七四年:2009/06/07(日) 17:20:14 ID:LhH90SpX
何を思ったか島津義弘が石田三成を攻撃 小早川秀秋を中央突破して薩摩に帰国


5 :人間七七四年:2009/06/08(月) 04:13:11 ID:pI7Vuocj
無敵の
長曽我部軍団がまずは東軍の家康を倒し
家康討死
家康の軍を吸収して他の東軍を皆殺しにしてから西軍石田三成を倒し三成討死
そして
東の景勝と秀忠を皆殺しにしてから伊達政宗も倒す
それから毛利と島津も倒して
長曽我部が天下統一







7 :人間七七四年:2009/06/08(月) 07:05:20 ID:6323cBSX
>>1
そりゃあ一気に西軍有利でしょ?
ただ、小早川が西軍につく可能性はあまり無かったろうし、
戦後結局徳川の天下になった可能性は大じゃね?



20 :人間七七四年:2009/09/03(木) 11:20:50 ID:Lt13DB0j
小早川が西軍として戦ってもおそらくは西軍は勝てない。
毛利、長宗我部も攻撃してくれれば勝てたかもしれないが。



21 :人間七七四年:2009/09/05(土) 10:48:02 ID:HI2x3oyo
あの寝返り時点で松尾山から東軍左翼に攻め寄せたとすれば東軍左翼は崩壊する
なにせ午前中から戦闘し続けてる相手にフレッシュな状況で更に当主はともかく士卒は
隆景のもとで~朝鮮出兵と戦い続けてきた小早川侍衆で、勝てば主君が関白就任=
自分達も出世という馬の前に人参状態で士気も高い
左翼が崩れれば元々崩れかけていた中央福島隊は宇喜多の圧力の前にいくらももたない
すると宇喜多~小早川の間にいる大谷隊が遊軍となり東軍中央~左翼の空いた隙間に
入り込む
こうなると東軍としては(この戦場に限っては)どうしようもない




22 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:35:19 ID:Oiov5iCh
徳川本隊がいるけど


23 :人間七七四年:2009/09/05(土) 11:54:28 ID:HI2x3oyo
>>22
徳川本隊というけれど(世に聞こえた意味での三河以来の)徳川本隊は
ほぼ秀忠付で東山道を行軍中です
主だった徳川侍大将級で関ヶ原にいるのは本多のみ
井伊は忠吉付なので徳川本隊のコマンドラインからは外れています



24 :人間七七四年:2009/09/05(土) 12:45:52 ID:ZW3xI5SW
だからといって徳川本隊が役に立たない理由にはならないんじゃない
あと隆景の部下たちはたしか隆景が隠居した時にほとんどが付いていき
その死後毛利に吸収されていたんじゃなかったと思う
それに徳川家の人たちも勝てば自分の主君が天下人になるんだからこっちも士気も高いだろうし
家康だったら小早川が西軍についたらついたらで小早川が東軍左翼を突くようなら
その側面と背後を叩けばいい訳だし、こちらに来るなら蹴散らして逆に自ら松尾山に登り
西軍の側面を突けばいい話なわけだから勝ちは動かないんじゃない




25 :人間七七四年:2009/09/05(土) 13:01:32 ID:yu/I6O9N
小早川と毛利と長宗我部が西軍につき西軍が優勢になると旗色をはっきりさせてなかった伊達と黒田も西軍になり東軍終了


39 :人間七七四年:2009/09/26(土) 16:55:57 ID:zntc6VGI
家康は関が原に負けても建て直しができたが
光成はできなかった。
つまり互角に戦ったというけど
それぐらい差があったということ。


42 :人間
七七四年:2009/09/27(日) 00:15:04 ID:xXiL2DUE
>>39
いくら逃げが十八番とはいえ背後から襲いかかった毛利・吉川・安国寺・長束の大軍から逃げ切れるか?
豊臣恩顧が寝返る可能性もあるぞ?



43 :人間七七四年:2009/09/27(日) 01:03:55 ID:9OLmsypm
>>42
岐阜城までだったら何とか逃げられるんじゃないの?
で、秀忠軍が到着するまで篭城、っていう線が一番ありえそう。

ただ、長旅の上に真田に引っ掻き回されてヘロヘロの部隊が後詰じゃあね・・・。



44 :人間七七四年:2009/09/27(日) 04:31:45 ID:L43Csth9
関が原で東軍が負けた場合あえて秀忠軍が西進してくるとは思えないんだが
中山道から関東に帰るでしょ
結城秀康とあわせれば6万以上の兵力あるんだし
実際東海道は東軍についた諸将が壊滅してがら空きだし



48 :人間七七四年:2009/09/27(日) 20:43:15 ID:Q4NjxQev
金吾が東軍を攻めてたら、関ヶ原では勝っただろうけど
長期戦になればなる程、家康が調略で西軍を切り崩していくだろうね



49 :人間七七四年:2009/09/27(日) 20:58:54 ID:WN4M7GJ3
関ヶ原で終わらずに少しは粘る家康だろうけど、味方は?
佐吉を嫌ってる加藤、福島だって寝返る恐れあり。政宗くらいかな味方は
東海道で江戸に逃げても長くはもたないだろ
秀忠軍はあてにできないし。




50 :人間七七四年:2009/09/28(月) 03:25:10 ID:50i2K7FR
持久戦になればなる程家康の智謀が物を言うんだよ
残念ながらそこは三成とは比べものにならん
黒田、福島らが三成につくとは思えんしな



55 :人間七七四年:2009/09/28(月) 04:08:02 ID:50i2K7FR
家康は寝返るものだと思って
鶴翼の陣の中に突っ込んでるんだから
金伍が東軍に攻めて来たらビックリするだろうなw
でも家康は討ち取れたか
最前線で戦ってた福島辺りはヤバイと思うけど



56 :人間七七四年:2009/09/28(月) 04:12:38 ID:50i2K7FR
Sekigahara.png

この布陣だからな、金伍が東軍攻めても家康まで届くかどうか


57 :人間七七四年:2009/09/28(月) 05:48:50 ID:uSri76K0
>>56
一方大河の三成は小早川陣までワープした



66 :人間七七四年:2009/10/04(日) 15:48:03 ID:FJKg0rmV
最上の長谷堂城なんて落城寸前だし上杉全軍が南下するのも時間の問題
そして伊達が動けば佐竹も南下を開始して江戸に進む

そうなると秀康軍が迎え撃ってくるが兵はせいぜい5千~1万以下
そこへ真田の足止めによって関ヶ原に乗り遅れた秀忠軍が駆けつけてくるけど、これには少し時間がかかる

その間に伊達佐竹が江戸を駆逐し上杉が最上を制圧し南下してくる
上杉、伊達、佐竹、合せて7万~8万くらいか
秀康、秀忠、合せて4万くらいか



67 :人間七七四年:2009/10/04(日) 15:55:09 ID:FJKg0rmV
ここで家康はどう動くかだな
関ヶ原の東軍を全軍挙げて江戸に引き返させるのか?
秀忠だけに任せて、自分たちは大坂を目指すのか?
軍を半分にして自分は江戸に、残りの諸将は大坂に進軍させるのか?

これに対して、大坂城に立て篭もる毛利さえ奮い立てば
いくらでも東軍を足止めできるのだけど、コイツが屁たれだから難しいんだよな
せめて三成が生きて大坂城にまで逃げつけば、面白いことになるが
宇喜多が敗走した自軍の兵を大坂城で再び、再編できるならそれでも何とかなるかな?

とにかく、上杉、伊達、佐竹が江戸を蹂躙する間に少しでも大坂から足止めできる軍が欲しいところ



68 :人間七七四年:2009/10/04(日) 16:01:51 ID:FJKg0rmV
そして史実で大谷の策略により足止めされていた前田も動き出すな

史実では、騙されたと気付き急いで、堀たちと一緒に上杉領に進軍するハズだったらしいが
加賀から会津までは時間がかかるし
もし前田が大坂城に進んで来て、東軍本隊が江戸に取って返して来たらチョッと厄介だな
東軍本隊は出来る限り、西で足止めさせたいところ

一番理想は秀康、秀忠、家康だけが江戸に戻ってきて、そこを江戸もろとも叩くと。
こうなれば西軍逆転勝利の可能性は飛躍的に高くなる



69 :人間七七四年:2009/10/04(日) 16:05:19 ID:FJKg0rmV
そしてその頃、九州を蹂躙してた黒田、加藤の軍も島津攻めをしている頃で
これは他の九州大名と違い、兵力も残っていることから容易には攻め落とせない
かなり難攻し、こう着状態になるかも知れないな

しかし中央での争いが時間がかかればかかるほど、黒田たちにもチャンスが大きくなるわけで
もしかしたら島津と同盟を結び、急いで大坂目指し行軍
当初の野望通り、関ヶ原に勝った家康を討とうとするかも知れない



72 :人間七七四年:2009/10/04(日) 21:02:17 ID:iyQcRcxr
関ヶ原で東軍が勝ってるのに、伊達が上杉と協力して何になるの?
佐竹も義重や重臣の多くは徳川寄り。わざわざ負けた側につく理由がない。
それから、250万石という石高から計算すると、関東にはまだ2万前後は残ってると思われ。




73 :人間七七四年:2009/10/04(日) 21:17:34 ID:FJKg0rmV
実際、伊達は上杉と講和しようとしたし最上領に欲出してたじゃん

それにIfじゃん。
小早川だって実際に裏切ってるのを裏切らないっていうスレなわけだし
それなら伊達が裏切った方が天下の行く末が面白いって話

あと、秀忠本軍が3万5千で、家康が3万引き連れていってるから
計算上は2万前後も残ってないよ
もちろん、本国が攻め込まれたら臨時召集くらいするだろうから
もう少し増えるかも知れないけど
でも石高から計算したら、せいぜい5千~1万



74 :人間七七四年:2009/10/04(日) 21:57:52 ID:GkoqIPDw
>>73
秀忠隊は仙石とか石川康長、森忠政等の外様大名も含まれます
それを除けば三万前後
それに秀康にも蒲生や里美等の外様大名も含まれるのでそれも
勘定にいれないと



77 :人間七七四年:2009/10/05(月) 00:08:46 ID:qPQO14bU
>>74
それを入れても大体、3万5千~4万くらいでしょ

しかも秀忠本隊が江戸に戻るには東軍主力軍と同じくらい時間もかかるし

それまで秀康軍だけでどうにか出来るとは到底思えないな



145 :人間七七四年:2009/10/08(木) 22:13:38 ID:Gnxwtjut
大坂城居残り
毛利輝元、安国寺恵瓊(輝元の目付け)

大津上攻め
小早川秀秋

田辺城攻め
吉川広家、脇坂、朽木、小川、赤座

コイツら裏切り者を関ヶ原と関係のない大津城や田辺城攻めに参加させといて

実際に大津城攻めした
毛利元康、立花宗茂、小早川秀包、筑紫広門など1万5千

実際に田辺城攻めした
小野木重次、小出吉政など1万5千

これらが関ヶ原に向かっていればもっと善戦できたと思うよな
大津城や田辺城なんて元々、誰が攻めても落ちる城なんだし放っておいてもいいくらいだしな



147 :人間七七四年:2009/10/08(木) 22:26:07 ID:Gnxwtjut
石田軍の周囲に、西軍で最も戦闘力のある立花と秀包を配置して

南宮山には毛利秀元、元康

他は島津や長宗我部の脇を固めるように
小野木や小出、平塚なんか戦意のある少軍を配置

そして宇喜多、大谷、小西、長束あたりで敵を蹴散らす

せめてこれくらいの戦をしてくれたら、東軍に秀忠が合流しても充分に対抗できるだろ




149 :人間七七四年:2009/10/08(木) 22:51:19 ID:Lf9pjJjw
秀秋と宗茂は生涯無敗だからね。両者が働けば無敵だったのに。 特に、大谷を瞬時に壊滅させたり、佐和山を1日で落とした金吾がキーだったね。



150 :人間七七四年:2009/10/08(木) 23:26:06 ID:AswJkpKp
石田が立花をどの様に見ていたかという問題がある
基本的に三成は自分の知り合いしか信用していない様だし



209 :人間七七四年:2009/10/31(土) 20:46:19 ID:espX5iag
結論、小早川だけじゃ無理。そもそも家康は、小早川が東軍に攻めかかることも
予想してるはず。一番の恐怖は、毛利軍が動くことにありそれに比べれば
遥かに不安は、低かったはず。金吾が、動けばすぐ本隊の3万で怒りくるって
本気でくるはず。だいたい小早川軍は、決定打になるほど強くない。大谷刑部
の少ない兵にも追し返されてるんだから、家康本隊3万相手には絶対無理。
それに、毛利軍(吉川広家)が動くかわかんないから。毛利と、長宗我部も
総攻撃しなきゃかなり厳しい。南宮山がそのままだったら結局負けてただろ。
で、吉川がそれでも動かなかったらもう大丈夫だろ。と家康はそこで思うはず。
南宮山の抑えはもういらないや。ってな、それで抑えの部隊、池田浅野山内を
中央に持ってきて全軍総攻撃で、小早川も宇喜多と小西と一緒に押し込まれて
壊滅。結局三成は、勝てない結果に終わったんじゃないかな?




290 :人間七七四年:2010/02/11(木) 16:16:40 ID:p1Fgbex/
>結論、小早川だけじゃ無理。そもそも家康は、小早川が東軍に攻めかかることも
 予想してるはず。一番の恐怖は、毛利軍が動くことにありそれに比べれば
 遥かに不安は、低かったはず。金吾が、動けばすぐ本隊の3万で怒りくるって
 本気でくるはず。だいたい小早川軍は、決定打になるほど強くない。大谷刑部
 の少ない兵にも追し返されてるんだから、家康本隊3万相手には絶対無理。
 それに、毛利軍(吉川広家)が動くかわかんないから。毛利と、長宗我部も
 総攻撃しなきゃかなり厳しい。南宮山がそのままだったら結局負けてただろ。
 で、吉川がそれでも動かなかったらもう大丈夫だろ。と家康はそこで思うはず。
 南宮山の抑えはもういらないや。ってな、それで抑えの部隊、池田浅野山内を
 中央に持ってきて全軍総攻撃で、小早川も宇喜多と小西と一緒に押し込まれて
 壊滅。結局三成は、勝てない結果に終わったんじゃないかな?
>本戦前の情報戦・政略戦で家康の勝利は確定、という事

必然というか、東軍厨の都合のいい妄想だろ(笑)



291 :人間七七四年:2010/02/11(木) 16:58:35 ID:Exjf8cKS
>>290
※前提
・小早川勢の出口は隘路
・毛利勢の出口は隘路
・隘路の出口は塞がれている

これで大軍を動かすメリットは全くなくなっている
そもそも「毛利が動いたら抑え部隊が逃げる」という発想がおかしい
なんのための抑えだよ



292 :人間七七四年:2010/02/11(木) 17:18:49 ID:Exjf8cKS
もしかして「隘路」の意味がわからないのかもしれないので説明しておくと、
簡単に言うと「細い道」な
細い道は横に大きく展開ができないので、少数が守るにはよいが
大軍が攻めるには大軍の利点(包囲殲滅できる)を生かせず突破が難しくなる
東軍は南宮山の抑えを隘路の入り口付近に配置しているが、
これは少数で多数を迎え撃つという点では利に叶った布陣
同じことを大谷吉継もしているね

それをふまえて、小早川が東軍に攻めかかった時勝てる方法とすると

・松尾山の東側に大軍が通れる道をはじめから作っておき、そこから関ヶ原に出て背後から攻める
・もしくは最初から松尾山の北東、藤川をわたったところに布陣しておき、横から藤堂・京極隊を突く

これだな、しかし小早川は14日に急遽松尾山を占拠しているので道を造る暇はない
後者は前提条件が変わってくるのでここでは外す
そうすると、中山道の出口は藤堂や京極らの部隊で塞がれているので大軍が逆に仇になる
宇喜多はこの時点で包囲されてたので、救援はまず無理

結論としては、もっと早く動いていて、少なくとも藤川の西くらいに布陣してればなんとかなったかもしれないが
家康が鉄砲を打った時点で西軍に味方しても遅い



293 :人間七七四年:2010/02/11(木) 18:32:12 ID:Exjf8cKS
わかりやすいように小早川が寝返る正午頃の関ヶ原布陣図を簡単に作ってみた
ところどころあやしいがまぁ大きくは間違ってないので許して欲しい
松尾山・南宮山から出てる黄緑色は下山ルート
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org644150.gif

【西軍】
①石田本陣 ②黄母衣・島津 ③小西 ④宇喜多
⑤大谷・木下・戸田・平塚 ⑥小早川 ⑦赤座 ⑧小川 ⑨朽木 ⑩脇坂
⑪毛利 ⑫吉川 ⑬安国寺 ⑭長束 ⑮長宗我部

【東軍】
⑯京極・藤堂 ⑰福島・寺沢・金森・織田・松平
⑱井伊・本多・松平・田中・生駒・加藤・細川・黒田 ⑲家康本隊
⑳有馬 21山内 22浅野 23池田

南宮山の中国勢が関ヶ原に出るには、右上の浅野らのいる隘路を通らないといけない
松尾山の小早川が関ヶ原に出るには、左下の大谷隊のいる隘路を通らないといけない
家康本隊はどこにでも動ける位置に無傷で存在し、半数ずつ分けても各15000の増援となる
笹尾山の石田本陣は戦線をやや後退、すでにじり貧になっていた状況

正直なとこ、この状況になったら石田本陣が落ちるのは時間の問題だなぁ
午前10時くらいに小早川が西軍に参戦していて、朽木・脇坂方面から藤川を渡河できていたら
この状況にはならなかったとは思うが、この時点ではたぶん時間が足りない



294 :人間七七四年:2010/02/11(木) 18:51:35 ID:Exjf8cKS
>>288
・小早川秀秋は家康へ伏見攻めを謝罪する使者を再三送っていた
 (その間、西軍から大垣へ入るよう催促されても無視)
・家康から伏見攻めを許す旨の返答が来てからようやく動く
・14日正午頃、勝手に松尾山へ布陣 ※同じ頃家康が赤坂に着陣
 このとき不審に思った大谷吉継が小早川を問いつめている
 (松尾山には中国勢を入れる旨の12日付け増田長盛宛石田三成書状が残っている)
・14日深夜~15日早朝、石田三成は関白職で釣り上げようとしていた
・少なくとも15日早朝の時点で黒田・徳川からの目付が遣わされていた

物証が残っているだけでもこれだけあるんだがな
ちなみに、石田三成が大垣城を出たのは小早川秀秋が松尾山に布陣したので
伊勢街道を封鎖されることを怖れたためという説が最近有力になっている
(石田・島津・小西・宇喜多の陣にはまともな遺構が残っておらず、
 突貫で作ったものという物証が出、「関ヶ原決戦構想説」から「関ヶ原突発説」が有力になったため)
ついでに、松尾山に麓から鉄砲を射掛けても、小早川陣あたりではどこに射ているかわからないため、
鉄砲の煙を攻撃の合図にしたのではないかという、実験に基づいた説もある
逆に、こうして物証を重ねていくと、最初から小早川は東軍だったというのが補強される



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